2022/06/07 08:58


今回は予定を変更して




自分の師でありました


プロレスラー


ターザン後藤さんとの思い出を語りたいと思います。





ターザン後藤さんは


私をプロレスラーとして


デビューさせてくれた恩人です。




先ずは



生い立ちから。。






僕は 


小学生3.4年頃からプロレスラーになりたい夢をもちました。



毎週金曜日20時からの新日本プロレス放送を見て


家族全体の影響で


プロレスが好きになり



プロレスラーになりたい!


という


夢をを持ちました。



ずっとずっとプロレスを


見続けていましたが



現実的には


自分は、体が


あまりに小さすぎて


プロレスラーになることは


かなり低い可能性である状態を知っていきました。




後に 私が高校生の頃には


新日本プロレス、全日本プロレス、UWF と団体があり


後に


元全日本プロレスの大仁田さんが 


同じく元全日本プロレスのターザン後藤さんと共に


FMWを立ち上げ



ターザン後藤さんの歴史は


ここから


プロレス界に

大きな影響をもたらせました。




そのときも



私は プロレスラーになる夢を諦めきれずに


トレーニングを続けていました。




ターザン後藤さんは


その後



FMWを離脱して


フリー、真FMW、革真浪士団(かくしんろうしだん)、ターザン後藤一派



団体を作りましたが



その 


革新浪士団の時に



私は 入門し 


弟子入りをすることができました。





後藤さんには 多くの御弟子さんがいますが



ここでは



後藤さんと私 


2人だけの空間での


懐かしい、印象に残った


思い出や 


言葉を語りたいと思います。




当時 


革新浪士団に入門し


団体経由で 世田谷の経堂に住み始めた時 


私が団体初の新弟子第一号

ということもあり


嬉しかったのか


夜に 呼ばれました。


確か 新橋駅あたりで待ち合わせをし


ご馳走様をしてもらい


いろんな話を2人でしました。




僕も 大好きなプロレスについての夢を沢山話しました。




そのあと 


場所は 


銀座にうつり




銀座ライオンで飲みました。




初めての


後藤さんとの…


憧れの


本物のプロレスラーとの


2人だけでの


飲みの時間。…





緊張の中。。。



後藤さんが一杯飲んだら


僕も一杯空けて…




それを繰り返し…




後から聞いたら 



2人で レモンサワーを


1人60杯程飲んだらしいです。





僕は


後のことは覚えていなく


気がついた時には、


なぜか



朝方に、下北沢駅の中で倒れていました。


 

周りの方が


僕から避けて通る姿があったので


おかしいな?と思い


あとから

鏡をみたら



額から大流血していました。笑





次の日 



後藤さんと


一緒に 


錦糸町の遠藤ジムに


練習に行く途中 


後藤さんから聞きました。




最後 


別れる時に


僕は


荷物をもったまま



地面に頭から突っ込んだようです。



これが


僕が


初めて 


プロレスラーと


後藤さんと 


サシで飲ませてもらった時の

想い出です。



いやぁ 嬉しかったなぁ。。。




その後 



後藤さんとは 数えきれない程の食事や飲みをさせていただきました。




そして



僕は


後藤さんに弟子入りをする前



いくつかの団体の入門テストを


受けて 当たり前のように落ちています。


勿論 身体が小さすぎるので

当たり前なのです






革新浪士団の 


面接の時


僕がプロレスに対する夢を語った後に


後藤さんより

一言。




『やりたかったらやれよ!』






この一言で


入門させてもらいました。




この一言には痺れました!





また


革新浪士団では 



まだ 道場が無かったので


後藤さんのコネから


確か、水道橋駅近くにあった


女子プロレス団体の


ネオレディース道場をおかりして


後藤さんと2人で


僕のデビューできるように


練習をつけてもらうために


後藤さんと2人で


道場に通いました。。



それも


今思えば 贅沢な


2人っきりの練習です。



マンツーマンです!




勿論 


練習はきつかったです。



先ず


後藤さんが、リングで

ウォームアップをしてる間に


僕は 


リング下で


指示をされた 

スクワットを1000回


椅子に脚を乗せて行うフルレンジのプッシュアップを

20回✖️10セットやり


そのあとに


リングに上がり受け身や

ロープワークを

教わりました。。


そして 後半には、


後藤さんに投げられる受け身の練習を沢山やっていただきました。



その間、約3時間位。



僕は バテてきまして動きが悪くなってきますした。


その時に

後藤さんからの檄がとびました。


苦しい中で

何度も何度もバテてきた時



後藤さんに 


言われた言葉がこれです。…






『お前のプロレスが好きだ!

 と言う

  気持ちは そんなもんか!』




それを言われた時


苦しい中でも


僕は何度でも奮起しました。



この言葉。


今でも覚えています(涙)


これは名言だと思っています。




そして僕は


当時、後藤さんが上がっていた


IWA JAPANの後楽園ホールで


デビューをさせて頂きました。



のちに


僕は 


後藤さんより



清水の画伯



と言う,リングネームをつけてもらいました。




僕のプロレスラーとしての時間は


約10年



後藤さんのセコンドにつき


凶器を渡したり


タッグを組んだこともありました


戦ったこともありました



リング上.外 



素晴らしい経験を



人生の勉強を



させてもらいました。



そして


自分の誇りは


ターザン後藤一派での


最大の大勝負だった




ターザン後藤、清水の画伯vs 小島聡、本間朋晃


この戦いに


パートナーとしてお供できた事が

最大の誇りです。




約10年の間


寝食を共にし


嬉しかったこと


苦しかったこと



沢山ありましたが



離れて 14年程経つ今でも




貴方への感謝は忘れません。




僕は


プロレスが


社会人として


初めてついた仕事だったし


中1で父親を亡くした僕からしたら


師であり 親父みないな存在でした。






僕は これからも



今までの経験を活かして生きていきます!



本当に本当に


有難う御座いました。


長いあいだお疲れ様でした。


ゆっくりお休みください。


      



         清水の画伯