2022/05/10 09:32

皆様こんにちは。
今月の5月は毎週火曜日を担当することになりました。
元プロレスラーのmasaです。
宜しくお願い致します。
今回は
第一回目なので
自己満なネタ
またマニアックな話になりますことご了承ください
皆様は一年で忘れられない日、
特別な日
ありますか?
私にとっての忘れられない日は
2005/5/5です。
毎年 毎年 5月にはいると
その時を思い出します。
必ず思い出します。
忘れもしない2005年5月5は
静岡.清水マリンビルでの私が所属して
いたプロレス団体の興行でした。
当時私はプロレスラーで、
東京に住んでいましたが
地元で開催の凱旋興行ということで
当時、プロレス界、頂点のトップ中のトップ
当時、全日本プロレス所属の
小島聡さんをブッキングしてもらえたのです。
2005年5.5清水マリンビル大会
その日のメインイベントは
全日本プロレス 四冠王、そして
2005年プロレス大賞受賞者の
小島聡
&
本間朋晃 vs ターザン後藤
&
清水の画伯(私)
としてやらせていただきました。
当時の小島さんと私が対戦することは
どのくらい凄いことか?
というと
極端に言えば
天皇陛下と
庶民がやるようなも
のです
(極端すぎますが笑)
伝わりますでしょうか?
そして
その試合では 私自身は
かなりの力の差を見せられ
叩きつけられ
徹底的に潰されました。
やられたことは勿論悔しさがありましたが
その時に 感じたことは
感動と感謝でした。
この一戦のいろいろな感情が
その後の私の人生に影響を与えられ
インストラクターとしてやっている
今に繋がっています。
プロレスラーとして
いろいろな試合をしてきましたが
その中で 一番の影響を受けた試合が
それでした。
毎年、5月5日になると
もう17年も前なのに
未だに思い出します。
それだけ 戦った 小島さんに魅力があったわけです。
プロレスは
戦いながら
相手から
メッセージをもらいます。
戦いながらに、
言葉なくしてメッセージをもらいます。
小島さんは攻撃がどんなにきつくても
それが
どんなに死にそうなくらいの
凄まじい攻撃であっても
その時に
受けた
感じた
感情は
爽やかさ
が ありました。
そんな感覚は はじめてでした。
それは多分
戦いに
愛情があったからだと思います。
これは 人間的な性格からもくるもの
かもしれませんが
そんな人間になりたい!と
影響を受けた
2005年5月5日でした。
そんな小島さんですが
今では
ベテランの枠に入り
すっかり
トップ戦線から脱落し
戦績も落ちていきました。
しかし
今
また
つい最近
この現在の2022年5月に入り
旬な話題になっています。
そこにも
何か運命を感じます。
小島さんは
プロレスリングNOAHで
ヘビー級頂点のベルトGHC世界ヘビー級のベルトを狙います。
小島さんが
再び 上がってきました。
私も再び
メッセージをもらいました。
これは 応援せずにいられません。
小島さんが現役でいるかぎり
私の5.5は
ずっと忘れません。
そして、
人生の
お手本の人間像として
教わり
勇気つけられて
これからも
生きる希望を持ち
進んでいきます。
次回は
今
私が
はまっていることについて
お話します。
by MASA